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わたしの「中庸」

最近のテーマは「中庸」

(偏りがなく調和が取れていること)


中でも意識して探求していたのは「感情の中庸」

喜怒哀楽の中で、怒りの感情が欠如してたから。


集団生活に馴染もうとする中で、怒りが絡れの原因になることが多く

意図的にその感情を抑えつけるようにした。


いつしかその感情はほぼ失くなって、ここ数年は感情的にならず

1年半前から始めた「幸せ日記」の習慣も相まって

怒りが感謝に変換され、もっと怒りが湧かない。


それって感情的には不自然な状態で、元々感情的だったからこそ

欠けてしまった私らしさを取り戻すために

本来あるべき感情を意識的に湧かせようと


・自然体の私でいる

・感情を制さず出す

・怒ってもいい、むしろ怒りを出す


意識的に怒りに目を向けるようにしてた。


そしたら、この1年ずっと上手く行ってたのに

怒るようにしたこの1ヶ月、全く上手くいかなくて

幸せだけど大して実りのないような、想定内な日を過ごしてた。


そこで、怒りを意識しすぎも良くないことに気付いた。


それで今日、いっそこのテーマを忘れようと思って

前みたいにときめきのまま過ごしてみたら

もう、びっくりすることがたくさん起こって!


(全部は言えないけど書籍関連:令嬢のマナーと教養図鑑)


中庸でいるために、欠けてた怒りを取り戻そうと思ったけど

様々な経験を積む中で、私の中庸の位置は変わって

怒れないことは私は欠如じゃなく、「柔和」という特性になっていた。

「中庸」の形は、人それぞれなのだと思った。


喜・怒・哀・楽


4つの感情があるけど、どれも25%ずつあるべきという訳でもなく人それぞれ。

私の場合は、怒が時々芽生えるくらいがちょうどいい。


そんなことを考えてたら

りかさんの投稿で「両端を知らないと真ん中の点は打てない」

って言葉を見つけて、これだ!!と思った!!


怒りを味わい尽くしたからこそ、私の中庸がどこにあるか掴めたんだ。

ここ最近迷走してたけど、やっと答えに辿り着けた。



日常生きていると、つい誰かと比べたくなってしまうけど

その人の中庸は私の中庸とは限らないし


その人の良さと私の良さは違う

その人にあるものが私にないように、あの人にないものが私にはあるからね。


だから、人と比べることも、合わせることも意味ないんだなって

改めて諭された。


本当の答えは自分の中にあるもので

私だけの正解を見つけるのが、1番の近道。


見つけ方を学ぶことは出来ても、正解は自分にしか分からないから

自分と向き合わなければならないんだよね。


この気づきで、それをしみじみと感じた。



誰かと同じよりも、自分のオリジナルになること

それを自分で掴むことが何より大事。


私は私なりの中庸をこれからも追求して

私だけのスタイルを確立します🪄

 
 
 

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2024.4.13 Mai / Jasmine

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