わたしの「中庸」
- Mai / Jasmine
- 6月27日
- 読了時間: 3分
最近のテーマは「中庸」
(偏りがなく調和が取れていること)
中でも意識して探求していたのは「感情の中庸」
喜怒哀楽の中で、怒りの感情が欠如してたから。
集団生活に馴染もうとする中で、怒りが絡れの原因になることが多く
意図的にその感情を抑えつけるようにした。
いつしかその感情はほぼ失くなって、ここ数年は感情的にならず
1年半前から始めた「幸せ日記」の習慣も相まって
怒りが感謝に変換され、もっと怒りが湧かない。
それって感情的には不自然な状態で、元々感情的だったからこそ
欠けてしまった私らしさを取り戻すために
本来あるべき感情を意識的に湧かせようと
・自然体の私でいる
・感情を制さず出す
・怒ってもいい、むしろ怒りを出す
意識的に怒りに目を向けるようにしてた。
そしたら、この1年ずっと上手く行ってたのに
怒るようにしたこの1ヶ月、全く上手くいかなくて
幸せだけど大して実りのないような、想定内な日を過ごしてた。
そこで、怒りを意識しすぎも良くないことに気付いた。
それで今日、いっそこのテーマを忘れようと思って
前みたいにときめきのまま過ごしてみたら
もう、びっくりすることがたくさん起こって!
(全部は言えないけど書籍関連:令嬢のマナーと教養図鑑)
中庸でいるために、欠けてた怒りを取り戻そうと思ったけど
様々な経験を積む中で、私の中庸の位置は変わって
怒れないことは私は欠如じゃなく、「柔和」という特性になっていた。
「中庸」の形は、人それぞれなのだと思った。
喜・怒・哀・楽
4つの感情があるけど、どれも25%ずつあるべきという訳でもなく人それぞれ。
私の場合は、怒が時々芽生えるくらいがちょうどいい。
そんなことを考えてたら
りかさんの投稿で「両端を知らないと真ん中の点は打てない」
って言葉を見つけて、これだ!!と思った!!
怒りを味わい尽くしたからこそ、私の中庸がどこにあるか掴めたんだ。
ここ最近迷走してたけど、やっと答えに辿り着けた。
日常生きていると、つい誰かと比べたくなってしまうけど
その人の中庸は私の中庸とは限らないし
その人の良さと私の良さは違う
その人にあるものが私にないように、あの人にないものが私にはあるからね。
だから、人と比べることも、合わせることも意味ないんだなって
改めて諭された。
本当の答えは自分の中にあるもので
私だけの正解を見つけるのが、1番の近道。
見つけ方を学ぶことは出来ても、正解は自分にしか分からないから
自分と向き合わなければならないんだよね。
この気づきで、それをしみじみと感じた。
誰かと同じよりも、自分のオリジナルになること
それを自分で掴むことが何より大事。
私は私なりの中庸をこれからも追求して
私だけのスタイルを確立します🪄
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